本日も晴天なり ちょっとそこまで自転車で

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カテゴリ:独り言( 47 )

本日も晴天なり。


母の死にまつわる最後の話。


お別れ会の朝。

父の発案で、母が大切にしていた庭のお花をいくつか摘んで、祭壇に飾ろうということになった。

もう冬なのでそんなに種類が無かったが、母が好きだった黄色系の花がいくつか咲いていたので私が摘むことにした。


式場までに弱ってはいけないからと、ペットボトルに水を入れ、比較的形の良い花を探しながらハサミで切り、アブラムシなどがついていないか確認しながらペットボトルに挿して行った。

実際アブラムシとかついていたものは息を吹きかけて追い払ったりした。


5種類ほどの花を摘んだところでペットボトルの口がいっぱいになったので、もう増やすのをやめ、見た目のバランスが良いように整えた。




さらに、母が好きだった八朔の実を畑から一個、一番大きいのをもぎって、一緒に持って行くことにした。


車のボトルケージにペットボトルごと花を置いたら、日差しを浴びてとてもいい感じに見えた。


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嫁と子供たちを実家のワンボックス車に乗せて、母が待つ葬儀場に向かう。


その前に入院中の祖母のお見舞いに行き、痴呆で寝たきりで意志の疎通もまったくできないけど、目線だけはしっかり向いているのでたくさん話しかけてきた。

再び車に乗り、母が待つ葬儀場へ。

奇妙な出来事はそこから起きた。



葬儀場の駐車場に入る手前の信号で止まった時の事。


間違いなくペットボトルの花束の中から、いきなり何かがふわっと飛び出した。

飛び出した瞬間、嫁さんが「わっ」と大きな声で悲鳴を上げるくらいに突然だった。

モンキチョウだった。

ダッシュボードをひらひらと舞った。


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えええええ~

この蝶、どこにいたの??????

だって普通、花を摘んだ時に脱出するだろうし、虫の確認もしたよ。
その時点で普通気づくでしょう!!!

八朔を摘む為に、一瞬地面に置いたときがあったけど、その瞬間に飛来して、アジサイの中に紛れ込んだ???

そもそも、こんな真冬にモンキチョウなんて飛んでるものなの???






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信号待ちの瞬間に撮った写真。



駐車場に入ってから逃がそうとするも、隙をついて蝶はどこかに隠れてしまい見つからない。

結構シートの裏まで探したけど出てこない。

まあいいや、外に出たくないんだね。

車を後にして、葬儀場に入った。






この奇妙な現象を弟夫婦たちみんなに話をしたのだが、みんな不思議がるばかり。



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予定通り祭壇に飾り、お別れ会に臨んだ。

最終的にはそのお花と八朔は棺桶の中に納めた。




お別れ会のすべてのスケジュールが終わって、火葬場に移動。

私は霊柩車に乗り、三男がそのワゴン車を運転して火葬場に向かったのだが、火葬場の駐車場に着く直前にその蝶が再び現れたらしい。



弟は窓を開けると、元気よく外へ飛んで行ったそうだ。

いったい何だったのだろう。



この話をみんなにしながら、ある絵本を思い出した。

おそらく小学校4年生くらいの国語の教科書に載っていた物語。

「白い帽子」 今でも教科書に載っているのかな。


母が好きだったいわさきちひろさんの挿絵が入った、私としてはとってもお気に入りの物語である。

ネットで調べたら原文をそのまま載せられていた方がいたので拝借。


「白い帽子」

「これは、レモンのにおいですか。」
堀端で乗せたお客の紳士が、話しかけました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
信号が赤なので、ブレーキをかけてから、運転手の松井さんは、にこにこして答えました。

 今日は、六月の初め。
 夏がいきなり始まったような暑い日です。松井さんもお客さんも、白いワイシャツのそでを、腕までたくし上げていました。
「ほう、夏みかんてのは、こんなににおうものですか。」
「もぎたてなのです。きのう、田舎のおふくろが、速達で送ってくれました。においまで、わたしに届けたかったのでしょう。」
「ほう、ほう。」
「あまり嬉しかったので、一番大きいのをこの車に乗せてきたのですよ。」
 信号が青に変わると、たくさんの車が一斉に走りだしました。その大通りを曲がって、細い裏通りに入った所で、紳士は降りていきました。

 アクセルを踏もうとしたとき、松井さんは、はっとしました。
「おや、車道のあんなすぐそばに、小さな帽子が落ちているぞ。風がもうひと吹きすれば、車が轢いてしまうわい。」
 緑がゆれている柳の下に、かわいい白い帽子が、ちょこんと置いてあります。松井さんは車から出ました。
 そして、帽子をつまみ上げたとたん、ふわっと何かが飛び出しました。「あれっ。」


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 もんしろちょうです。あわてて帽子をふり回しました。そんな松井さんの目の前を、蝶はひらひら高く舞い上がると、並木の緑の向こうに見えなくなってしまいました。
「ははあ、わざわざここに置いたんだな。」
 帽子のうらに、赤い刺繍糸で、小さく縫い取りがしてあります。
「たけやまようちえん たけの たけお」

 小さな帽子をつかんで、ため息をついている松井さんの横を、太ったおまわりさんが、じろじろ見ながら通りすぎました。
「せっかくの獲物がいなくなっていたら、この子はどんなにがっかりするだろう。」

 ちょっとの間、肩をすぼめてつっ立っていた松井さんは、何を思いついたのか、急いで車に戻りました。
 運転席から取り出したのは、あの夏みかんです。まるで、あたたかい日の光をそのまま染め付けたような、見事な色でした。すっぱい、いいにおいが、風で辺りに広がりました。
 松井さんは、その夏みかんに白い帽子をかぶせると、飛ばないように、石でつばを押さえました。

 車にもどると、おかっぱのかわいい女の子が、ちょこんと後ろのシートに座っています。

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「道に迷ったの。行っても行っても、四角い建物ばかりだもん。」
疲れたような声でした。
「ええと、どちらまで。」
「え。―ええ、あの、あのね、菜の花横丁ってあるかしら。」
「菜の花橋のことですね。」
 エンジンをかけたとき、遠くから、元気そうな男の子の声が近づいてきました。
「あの帽子の下さあ。お母ちゃん、本当だよ。本当のちょうちょが、いたんだもん。」
水色の新しい虫とり網をかかえた男の子が、エプロンを着けたままのお母さんの手をぐいぐい引っばってきます。
「ぼくが、あの帽子を開けるよ。だから、お母ちゃんは、この網でおさえてね。あれっ、石がのせてあらあ。」
 客席の女の子が、後ろから乗り出して、せかせかと言いました。
「早く、おじちゃん。早く行ってちょうだい。」
 松井さんは、あわててアクセルを踏みました。柳の並木が、みるみる後ろに流れていきます。
「お母さんが、虫とり網をかまえて、あの子が帽子をそうっと開けたとき―。」と、ハンドルを回しながら、松井さんは思います。「あの子は、どんなに目を丸くしただろう。」

 すると、ぽかっと口をオーの字に開けている男の子の顔が見えてきます。
「驚いただろうな。魔法のみかんと思うかな。なにしろ、蝶が化けたんだから―。」
「ふふふっ。」ひとりでに笑いがこみ上げてきました。

でも、次に、 
「おや。」

松井さんはあわてました。バックミラーには、誰も映っていません。ふり返っても、誰もいません。
「おかしいな。」

松井さんは車を止めて、考え考え、窓の外を見ました。

 そこは、小さな団地の前の小さな野原でした。

 白い蝶が、二十も三十も、いえ、もっとたくさん飛んでいました。
 クローバーが青々と広がり、わた毛と黄色の花の交ざったたんぽぽが、点々の模様になって咲いています。
その上を踊るように飛んでいる蝶をぼんやりと見ているうち、松井さんには、こんな声が聞こえてきました。

「よかったね。」
 「よかったよ。」

「よかったね。」
 「よかったよ。」

それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。
 車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいが残っています。

  小学四年国語 光村図書より



重なるキーワードは
「夏みかん→八朔だけど」
「モンシロチョウ→モンキチョウだけど」
「タクシーで移動→ワゴン車だけど」

家の庭にいた母の何かが、モンキチョウになって僕たちと花と一緒に車で移動し、
どういうわけかわからないけど葬儀場ではまだ降りたくない、
つぎに火葬場に近づいて、ここで降ります~って飛び出して行った。

そんなストーリーを勝手に想像してしまったのだが、なぜ火葬場だったのか繋がりにくい。

もしくは
母の身を案じていたお庭のモンキチョウが、実家から葬儀場に母の亡骸が移動したことを知り、追いかける。
お花に隠れて庭を飛び出し、車にのって移動、葬儀場で降りたら最後まで付き合えないので一旦車内に脱出。
見えないところに隠れて火葬場まで移動、意を決して再登場し、予定通り窓の外へ
母の最後によりそうように、煙と一緒に天に向かって飛んでった。


そんなところかな。


隠されたいろんなメッセージを想像しているととても楽しい不思議な現象だった。

一つ一つの形が蝶に似ているアジサイの隙間で冬眠のように休んでいたところを、いきなり摘まれたのだと思われる。
寒いので動かなかったけど、車の中に入り気温が上がってきたので目を覚まし、元気に飛び回ったというのが物理的な原因だろう。
あとはアジサイの中までしっかり私が確認しなかっただけか。

タイミングがタイミングだけにいろいろと必要以上に関連付けて想像してしまうのが人間というものだが、


今後、モンキチョウを見る度に、この出来事を思い出しそうである。






by oyakata58 | 2016-12-10 09:54 | 独り言 | Comments(2)

ある一人の女性の人生

本日も晴天なり。

母は私から見て、とってもサバサバとした(ある意味男勝りな)大して可愛げのない、でもさりげなく愛情深い母親であった。

一本芯が通っていて気が強く正義感の強い頼り甲斐のある母親だった。しかし一方で、繊細で悲しいことがあったり感動するとすぐ泣くなど、感情的になることもあり、子供の時は本当に悪いことをするとビンタされたりもした。本気の愛情表現と捉える。


私にとっては、母親以外の何者でもなく、父には悪いが母も女性だなあなどと思った事がない。


母の死の後、最期のお別れの前の日の夜、家族皆でほとんど見た事がなかった母の少女時代からの写真を眺めていて、今までとちょっと印象が変わった。




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四人姉妹の長女として生を受けた。
当時はどんな将来の夢を見ていたのかなあ〜






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長女としてリーダーシップを持って気丈に育った(一番右)。






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なんだか少女らしさのある女子高生時代もあったのだった。(右から二番目)

どんな思春期の毎日を過ごしていたのだろう。





結構賢かったようで女子なのにクラスの代表にも選ばれてたらしい。あっ女子校か。

卒業してからは、地元優良企業の銀行に就職し、立派に勤めた。






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うひっ、20歳前後だと思うが、なんだか可愛くなって来てる。




この頃お見合いで将来の旦那に出逢う。
だからか、随分と女性らしさというか表情に乙女心が出てきているのかな。

お見合いの帰りに「いい人に出逢えちゃったな〜 ルンルン」とウキウキ気分で語っていたらしい。
(お別れ会の時に知った初めてのエピソード)
一人の可憐な女性だったんだねえ。







24歳でめでたく結婚。
おめでとうございます!
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父は隣町のこれまた7人兄弟の次男坊だったので、婿養子という形で。



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ミニスカートなんか履きよってからに。

当時の一大ブームだったらしい。









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そしておよそ1年後に私が生まれた。
女性から母親に切り替わった瞬間である。

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初めての出産で緊張しただろうなあ。
おそらく人生最大にして最初の苦難?を乗り越え私を産んだ。

そのゆるぎない事実があるだけでもう頭が上がらない。








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鳥取砂丘にて。




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授乳しているし・・・
まだ小さいのにこんなところにまで連れてきてくれたのか。
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6年間で3人の男の子を産んだ。
その後間を空けてもう一名。






他にも家族でいろんなところに出かけた写真がたくさん残っている。

大きな休みごとに父の運転する車で日本中のいろんな場所に連れてもらっていた。
後半は家族で海外旅行もある。

私の今のライフスタイルはそこからへんからきている。





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左から母と私と弟(次男)と。





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母と弟(三男)。

なんだかズルい写真だなあ〜
嫉妬心すら覚える。



私は両親が喧嘩や言い争いをしてるのを見た事がない。
なんか嫌なことがあっても、すぐに謝るし、すぐに許すから。
そんな安心で平和な環境な中でのびのびと育てられた。



私が高校一年生の時、16歳差の妹もできて、家族がますます賑やかになった。
待望の女の子だったので、両親はとても可愛がった。

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妹の日々の成長を見てられたのは高校時代の3年間で、私は高校を卒業して東京へ出た。
いや出させてもらったというのが正しいか。


本当なら実家にとどまって家を継がせる計画を立てていたと思うが、デザインの道に進みたいと考えていた私について、ある日の先生との進路相談の時、偉い美術の先生から「息子さんは東京の美術大学で学ばせた方がいいと思います」と言われた一言に感化され?、私の人生に最適な方を選ばせてくれた。可能性を広げてくれた先生と両親に感謝。

一人暮らしを始めてから、母は定期的に手料理の真空パックや季節の果物をせっせと宅配便で送ってくれて、とてもありがたく、おかげでホームシックなど全くなかった。

一浪して無事に美大に進学してから、仕事のやり甲斐の高い良い会社に就職できて、今がある。本当におかげさま。うまくディレクションをしてもらった。


社会人となった三人の息子はそれぞれ本当に素晴らしい嫁さんができ、息子だけじゃあ絶対にやらないような気配りを受け、嫁たちにより息子たちの性格にも良い影響を与え、母の晩年はそれだけで幸せそのものだったらしい。


岡山の片田舎に生まれそこで育ち、その家を継いだ母は、頑固で融通の利かない父親(私の祖父)との折り合いが悪く、束縛と狭い世界から脱出の意味もあったと思うが旦那さん(私の父)と安いパックツアーを見つけては海外旅行を生き甲斐にして、日常を楽しく過ごしていた。



そんな日常に突如やってきた病気という悪魔。

「今迄が幸せ過ぎた。それを考えたら、これくらいの病気なんかなんぼでも受け入れるわ」といい放った。

闘病生活後半になっても「私は本当に幸せいっぱいの人生だった」と繰り返していた。



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棺桶に入った穏やかな顔をした彼女を見て、母親や妻という立場から完全に解放された一人の可憐な女性に見えた。

この人は運命的に私たち家族と出会い共に悩み楽しみながら時代を共有し一つの人生を全うしたんだなあと思うと、一層愛おしく思えた。


長い間しっかり私たちを見守り、育ててくれて本当にありがとう。

本当にお疲れ様でした。




私がいつか死に、次にもし生まれ変わってくることがあったら、再びあなたの息子として産まれてきたいなあ。

今、素直にそう思うよ。




by oyakata58 | 2016-12-09 00:33 | 独り言 | Comments(0)

ありがとう おかあさん

こころの整理がようやく付き始めたので、
ちょっと悲しい話で恐縮だけど自分の備忘録なので敢えて投稿します。

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ふもとっぱらツアーの帰り道。

助手席の友達と話しをしながら、お互いの両親の楽しそうな充実人生の話題になった。

「うちの親は果樹園の世話をしながら、冬とか農作業の合間を狙って一年に一回以上その労働のご褒美に国内外の旅行に行っているんだよ。私のライフスタイルもその影響かな~ でも実は母がいま病気で入院してて、ちょっと危ないんだ~。今回のイベントも何かあったらドタキャンしてたかもしれないくらいのタイミングだったけど、とりあえず何事もなくって良かった」って話をしていて、ちょっと気を遣わせるような暗い雰囲気にさせてしまったのだが、空気を換えるためにもトイレ休憩しようとちょうど入口が近かった談合坂SAの駐車場に入って良い場所に駐車スペースを見つけ停車したその瞬間に父からの電話・・・

今話したそばからなんかいやだな~

まさかこのタイミングじゃないよね。




父「ついさっきお母さんが亡くなったんよ」


私「えっ、それ今? えっ、ホント??」




仲間たちの楽しい旅の雰囲気をここで壊してはならぬと思い、同行者には悟られぬようすぐに離れ、電話の内容は内緒にしておいた。

電話が運転中じゃなくって良かった。

無事に安全に仲間達を昨日拾った駅に送り届け、ほっとした。








私の母は約一年前に自覚症状で見つかった盲腸の検査で、同時に悪性リンパ腫という病気にかかっていることが分かった。

そのときの、それを伝える母からの電話をよく覚えている。

「絶対大丈夫だから心配しないで、私がこんな病気に負けるわけがない、まったく問題ない」

「私はなあ、今まで本当に幸せ過ぎたんよ。いい旦那に出会えて、よい子供たちに囲まれて、今までが幸せ過ぎた分、これくらいの病気はなんぼでも受け入れるわ!」

母の口癖は「心配せんでええ、絶対大丈夫」
いつも私がなにか悩みを持つたびに、そういって安心させてくれた。
不思議となんとかなるんだろうなあ、そんなに心配しなくても良いんだなあと勇気をもらった。
母はなんだかんだで泣き虫で一番心配性な癖に。


私がたしか小学生の時にも母は一度大きな病気をして、胸骨を真ん中で切って胸を開くほどの大がかりな手術から無事生還している。
当時の自分は病気の重さはつゆ知らず、しばらく入院のために家にいないなあ、寂しいなあくらいにしか思っていなかった。

当時、母は家にあった子供たちに読ませたい本の朗読をカセットテープに吹き込んで3兄弟の子守歌として使えるように残してくれたことがあったのだが、

今回入院中の母に昔の思い出話として「そんなことがあったよなあ」と言ったら、母は「初めて死を覚悟するほどの病気だったから当時は必死になって何か子供たちに残そうとした」と本当の理由を説明してくれたのだ。

その中の一つの本のタイトルは黒柳徹子さんの代表作「窓際のトットちゃん」

「やすあきちゃんが死んだ」の章のところで母が泣きながら朗読していたのを子供ながらに変だなあと思ってテープを聞いていたのだが、その理由が今頃になってわかった。


ちなみに、岡山県は全国に誇れるほどの医療先進県であり、充実した設備と医師がそろっている病院が多くあり、母も万全の態勢で治療されるといっていたので、今回も前回と同じ病院だし、絶対に大丈夫だろうと、心配ではあるがきっとなんとかなる神様は守ってくれると、それほど心配しないようにしていたのだが、一度目の抗がん剤治療で完治せず、治療後一週間で再発、次の治療でも完治せず、つらいつらい抗がん剤治療を手を変え挑戦してもらったのだが、一進一退を繰り返しながら、ちょっと息子として見てられないほど徐々に衰弱していったのだった。

その間、父はもちろん私の弟や年の離れた妹が入れ替わりで毎日毎日看病に駆けつけてくれていて、私は遠いから「たいしたことないのに、来なくていい!」と電話やLINEで断られていた。

衰弱している姿を見せたくなかったのだろう。

入院中治療中の母の楽しみが面白かった。強い痛み止めの薬を飲むと幻覚作用が起きて、現実か幻覚か判断ができないほどリアルに、多くのお笑い芸人さんが自分の周りにやってきては面白いことをしてくれて、彼らとの会話のやりとりが楽しくて仕方ないらしく、父たちが見舞いにきたときに、本当に起きたことだと思い込みながら詳しく説明していたらしい。私はそれを聞いて薬の怖さを心配すると同時に、とっても楽しそうに話す母に嬉しさを感じたほどだった。

自分は絶対に大丈夫、復活してみせると常にポジティブに治療に向き合っていたので、これは本気で病気に打ち勝つかもしれないなあと期待を感じるほどの姿勢だった。

でもほんの数か月まえ、その母の幻覚が激しすぎて異常行動を起こし、いよいよ命が危ないかも!と思った父が、一斉に家族を集合させたことがあって、岡山の病院に飛んで行った。その時は母も復活し会話ができるほど結局なにもなかったのでほっとしたが、もういつこのような本番が来てもおかしくないんだなあと、「じゃあまたね」という会話が最後になるかもしれないという緊張感を隠しながら別れた。

3週間前に突然祖父が亡くなった時、母に病院で再会した。
祖父の葬式の前に私と妹と、弟の嫁さんの三人で見舞いに行き、3人で手足のマッサージを始めた。私は左手。
母はしみじみと、「こんなにみんなにしてもらって贅沢じゃなあ」と喜びながら、半分麻痺した顔を外が見える窓の方に向けていた。

久しぶりに母の手を触ったけど、やっぱり温かいなあ....

全く食事を受け付けず、水分すらも喉を通らないという弱った状態で、本当にずいぶんやつれてしまったなあ、
なんとか大逆転はないのかなあ、お別れなんてまだ早すぎるわ~、でもいままで本当に感謝しかないなあ。と思いながら手を握ってマッサージを続けていたら涙をこらえられなくなってしまい、涙が頬をつたってしまった。見られたらまずいので鼻もすすらずに静かにマッサージを続けていたら、母が突然こっちを向いて話しかけてきた。

質問は祖父の葬式の事だったと思う。母にとっては父だ。

私は動揺を隠しながら何事もなかったように質問に答えただけだったけど、母は私の涙をみて、何を感じたのだろうか。この涙は、とりあえず今までの感謝の気持ちだから。そう思ってもらえるようにもっと強くマッサージを続けた。

今思えば、祖父は自分の死をもって、この再会のタイミングを与えてくれたのかもしれない。
そして、感謝を伝えるチャンスを与えてくれたのかもしれない。

これが絶対最後というわけでもないので、一生の別れを言えるはずもないのだが。

私「じゃあおじいちゃんをみんなでしっかり見送ってくるね!」
母「はい、お願いします!」

私「お母さんも病気を治すよう頑張って、いやもう十分頑張ってるからこれ以上言われても困るよね・・・」
母「そうよ~」

私「じゃあね」

というのが私と母の最後の会話になってしまった。


それから約二週間後

母は入院病棟からいったん帰宅した。自宅で最期を迎えるように病院側が配慮してくれたのだろう。
何かあったら大変だと、父は心配をしていた。病院の方が安心なのだけど。



家に戻って4,5日後
妹曰く、いつも「痛い痛い」が口癖なほど状態が悪かったらしいがこの日は痛いと言わないので違和感を感じていたらしい。
すると次第に呼吸機能が低下し、ほどなく心肺が停止に。
それに気づいた父の心臓マッサージの甲斐なく天に召されたという。

すぐに駆けつけてくれた入院先だった病院の担当者が素早く処置をしてくれて、診断書も作成してくれて、今回は検死作業は無し。
良かった。





そして、12月4日。
私も棺桶の中に入った母に再会。

父から聞いていたとおり母はとてもいい顔をしていた。

闘病中の辛そうな顔が嘘のように安らかに眠っている。
「いままで本当に良く頑張ってくれました、お疲れ様でした」

棺桶のふたを開けて母のほっぺたに触れてみたら冷たかった。

本当に死んじゃったんだね。
不死身だと思ってたのに。


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本人が昔の話の中で希望していたように、目いっぱいのお花で囲んだ。
母の意向でお葬式というより本当に親族だけのお別れ会。
それでも50人以上集まった。
大家族だね~





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お盆やお正月には日本中に散らばった従兄弟たちも岡山の実家に集まって母の手料理で大宴会するが恒例だったので、
第二の母のように慕ってもらえていたので、従兄弟で参加できる人たちは集まってくれた。
とにかく自分より人を優先し、みんなをもてなしたりさりげなく喜ばせたりするのが好きな人だった。


いままでの感謝の気持ちと、もう会話ができないことを考えると誰もが号泣。
ちょっと逝くのが早すぎたよね。まだ69歳なのにね。


メッセージの寄せ書きの色紙を書くのにまた号泣。


前日に父から「お別れ会で長男として手紙を読んでくれない?」ってお願いされたのだけど、今回は本気でパス。
言いたい事はたくさんあるけど、声にならないことが容易に予想され・・・

代わりに一番面倒見が良い次男が受けてくれたけど、司会者に代読してもらった。気持ちはわかる。
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さらに孫代表で一番年長の三男の長男(13歳)がマイクで自分が書いたお婆ちゃん宛ての手紙を自分で読んでくれて、終わったところでみんなで拍手。文章もしっかりしていて感動的で、お前何者なのだ、将来が楽しみだなあ。

しかしカッコ良かったな~


この後、さらに集まってくれた母のプライべートの友達にも見送られ、霊柩車に乗って火葬場へ。








それから90分で骨になってしまったよ。
母の生前の希望で遺骨をエーゲ海に散骨する為に少し持って帰らせてもらった。


遺骨の入った骨壺を膝に抱えながら車で移動。
随分小さく軽くなったなあ。

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実家に戻った。
すぐに家には入らずに、お母さんが幼少期から過ごして遊んだ家の周りを、
紅葉で綺麗に色づいた景色を見せるようにゆっくり歩きながら一緒に散歩した。



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お母さんの願いを胸にして、残りの人生、みんなで力を合わせて一日一日を楽しく大事に生きていくからね。
そう改めて思いながら家に入っていった。

おかえりなさい。




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実はこの日にちょっと考えられない奇妙な現象が起きたのだけど、その話はまた後日。



by oyakata58 | 2016-12-08 01:37 | 独り言 | Comments(2)

こうきたか

本日も雨天なり。

上野村旅行中に見つけたポスター

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自衛隊員になってみんなでゴジラをやっつけよう!

って募集しているのだが、いざというときは映画みたいには行かないでしょう。

地震、原発、原爆、身勝手な国の偉い人、どれもそうはコントロールできなさそう。

by oyakata58 | 2016-09-23 23:32 | 独り言 | Comments(0)
本日も心は晴天なり。


auのCMで登場した一寸法師、実は彼、現在進行中の「 もんげー岡山」のキャンペーンCMでは有名な桃太郎役の俳優さんだったの知ってた?

知るわけないよな~

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岡山県民くらいしか知らない、あるあるである。






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時代をけん引するそうそうたる若手実力派俳優にまぎれて、岡山県出身の素朴な彼が採用されたのは、誇らしい出来事である。



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とってもいい顔してるけど若かりし日の蛭子さんにしか見えない・・・・




本日、当方ブログ創設以来、50万アクセスを突破。

もんげーー!(岡山弁で凄いぞーという意味)
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さいきんは毎日500~700名(スマホからのアクセス数含まず)もの、どなたか知り得ない方々からのアクセスを頂き、程よいプレッシャーとモチベーションの維持に繋がっており、ここまで継続してこれました。ありがとうございます!

ちなみに最初のネタは自転車で東京から岡山に帰る話から始まったのでこんなタイトルになっているのだ。

いつも見に来てくださる方、コメントを頂いております方々、本当にありがとうございます!
励みになってます!!



こんな気まぐれネタのなんて事のないBlogですが、

子供たちが将来なにかのタイミングで読むことがあり、父親の当時の思いが伝わってくれると面白いなあとか、

いつか自分が入院とかしてしまって時間を持て余したら、まとめて読み返し思い出にふけってニヤニヤしようとか、

発信した内容がどこかで誰かの気持ちの変化や、行動のきっかけとしてお役に立てられたらいいな~とか (一方で不快に感じてる人もおられることを詫びつつ)

そんな淡い期待をどこかに持ちながら、ちょっとずつでも着実にいけるところまで頑張っていこうと思ってます。

日記は脳を若返らせボケ防止になる効果もあるとか言うし(ケージくん談)。


これからもマイペースで続けていきますので、よろしかったら覗きに来てくださいな。

感謝!



PS
イチロー選手頑張れー
明日は早起きして歴史的瞬間にリアルタイムで立ち会う為にメジャーリーグの中継観よっと。


by oyakata58 | 2016-06-15 01:07 | 独り言 | Comments(0)
本日は、本当に本当に久々の晴天なり。



梅雨並の雨続きから一転(朝は雨ふり寸前の空だったけど)、まさかの青空。

夏が時間差で取得した夏休みから帰って来た。

ひょっとして松岡修造さんが錦織くんが負けたテニスの取材を切り上げて帰国した??


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やっぱり晴れの天気は気持ちいいな~

いいことあるかも。





エキサイトブログの編集部スタッフさんから連絡が来て、
「8月のおすすめブログにピックアップさせていただきました」とのこと。

テーマは8月の(写真・お出かけ編)


いいことあった!

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こちらをクリックすると飛びます←


まさに飛んでます!!!




※採用されたのは南伊豆ツアー②の記事
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さて、今日は久々に天気が良いので早めに帰宅して、本当に久々のジョギングへ。

八ヶ岳クロカンレース以来? 二か月ぶりかも。


夕方から夜にかけて湿度も気温も高くて気持ち悪い中、汗ダラダラで、だらだらと5km走ったら超気持ち良かった。

もう膝も痛くない!!

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運動の秋がやって来たし、体重も維持できるように定期的に運動をしてアンチエイジングに励もう!






ここ最近(数週間)、エキサイトブログ「アウトドア」ジャンルの1位とか、2位とかにランキングされていてちょっと恐縮。

大したネタを提供できているわけではないのだけれど・・・。


でも喜んで読んでくれる人がたくさんいるのはモチベーションになるので本当にありがたい。


このblogがどこかで誰かの役にたてていられたり、

誰かの生活や行動に良い影響やきっかけを与えられていたとしたらもうそれだけで本望です。



できるだけ毎日、何気ない日常で見つけた小さな幸せを拾って日記にできたらなあと思っております。




来週末は嫁さんの仕事のシフトが入らなかったので富士五湖方面に家族でキャンプを計画中。

だれか一緒に行ってくれる人いないかな~


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とにかく少しでも多くの日が晴れますように!



PS
宇宙に興味が無い人もある人も、この高松さんのgoogle+はチェックしておいた方が良いですよ。
宇宙飛行士になる訓練の現場の話、最新でソユーズの打ち上げを次の宇宙飛行士としての目線で伝えてくれてます。
ドキドキ



by oyakata58 | 2015-09-02 22:43 | 独り言 | Comments(0)
本日も晴天なり。


伊豆に行く途中の東名道下り路線足柄SAで。



個人的にはこのアニメには全く持って興味がないのであるが、SAの店内至る所にまでデコレーションが施されていたので珍しさに乗ってパチリ。

エントランスのモデルのサイズが大きくて迫力があった。

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エヴァンゲリオン初号機。
実物大ではないようだ。




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エヴァンゲリオン発進!





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外には一回り小さいモデルや、仮設のお土産小屋があったりしており、コスプレした女子が気合入れて記念撮影していた。




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ポスターのグラフィックがカッコいい!




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SAのエントランスがこんな感じにラッピング。





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パーキングに面した外窓もこんな感じに。




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多くの人を惹きつけたからにはよほどの魅力があるのだろうが、外遊びの方が好きであまりアニメを見ない(じだいてきにどストライクであったガンダムですらも)私は最初で完全に乗り遅れてしまったせいもあり、あまりにそこらじゅうで盛り上がってる反動と意地もあって?途中から追いつこうという気にもならず、今に至る。

最近のアニメはストーリーが深くて複雑で難しすぎる印象があってついて行けんとですよ。




喰わず嫌い?

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きっと真面目に観たらそうとう面白いんだろうな。


by oyakata58 | 2015-08-05 07:40 | 独り言 | Comments(0)
本日も晴天なり。

おそらく今日からいきなり春本番に突入。

ソメイヨシノが昨日まで蕾だったのが、一日で8分咲まで開花したもよう。

いきなりだね~
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岡山が舞台の映画「でーれーガールズ」絶賛公開中。まだやっている?






ここからほぼ独り言

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岡山県がこんなキャンペーンを展開中。(宇梶さんは岡山出身ではないが意外と良い感じ)
県民が自画自賛というありふれたストーリーより、他県出身者が認めた岡山県という捻りが必要だったのだろう。


 岡山県には、古来より「三大VERY」と呼ばれる独特な言葉があります。「でーれー」「ぼっけー」「もんげー」の3つです。すべて「すごい」を意味する方言ですが、今回その3つの方言が新しいキャッチフレーズの座をかけて三つどもえの戦いを繰り広げます。

 それぞれのキャッチフレーズを推薦するのは、各界の岡山県出身者3名です。「ボヘミアン」のベテラン歌手 葛城 ユキ、ホラー小説「ぼっけえ、きょうてえ」で知られる作家 岩井 志麻子、サッカーJ2「ファジアーノ岡山」の特命PR部女子マネージャーも務める女優・タレント 桃瀬 美咲です。
 今回、岡山県を愛する3名の推薦コメントを動画で配信いたします。本音で語る推薦コメントは、岡山県民はもちろん、全国の方にも「ふるさと」を思い出してもらえるきっかけになると思います。
 また、新PRの「本編」は9月16日(火)からスタートします。こちらも従来の岡山県PRになかった切り口で展開する予定です。

<新PRサイト/URL >
 9月16日からドメインも新しくなります
※旧URL(
http://8092-okayama.jp )にアクセスすると、新PRサイトに移行します。
(Press Newsより抜粋)





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岡山県出身者としては
「ぼっけー」とか「でぇれー」とかいう言葉は良く使っていたが、もんげーという言葉はほぼ滅多に使わない。
方言として存在することは知っていた。


でぇれー(どえらい→どえれー→でーれー)
ぼっけー(語源不明)
もんげー(ものすごい→ものすげー→ものげー→もんげー)

岡山弁は母音を伸ばす省略言葉が多いのである。

キャンペーンのキャッチコピーに採用された「もんげー」は子供たちに人気の妖怪ウォッチにあやかった以外の何物でもなかろう。





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このキャンペーンは観光客の増加に効果があるのだろうか・・・・
岡山の知名度UPには若干の効果が期待できるかも・・・





是非このGWに(まだ予定が決まっていない人は)「晴れの国おかやま」、いや「もんげー岡山」に遊びに行ってみてちょーでー。


でぇれ~うめー瀬戸内の海の幸、ぼっけ~甘も~て瑞々しい果物、もんげーっ楽しい観光スポット

新しい発見や満足させてくれる出来事、面白い人との出会いがきっとあるはず!。





で、我が家は今のところ特に決まっていないのだが、紀伊半島をアオゾラ号と共に一周してこようかと画策中。


by oyakata58 | 2015-03-30 23:49 | 独り言 | Comments(0)

本日も晴天なり。



私が生涯現時点で一番好きな映画「BACK TO THE FUTURE シリーズ」

そのパート2でタイムマシーンの未来の行き先が2015年なのは周知の事実である。


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「結局自家用車が空飛ぶ技術は間に合わなかったねー」と言われるが(飛ぶ自動車も無いわけではない)

なんと、ホバーボードは間に合ったらしい!予約も受け付けているらしい。

ちゃんと磁力を利用している。

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映画の世界でも遊べるエリアは限られていたし、かなり近い状態にまで発達したといえる。

造った人凄いな~








さらには履くと自動でフィットしてくれるナイキのスニーカーも2015年に現実のものに。
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これは映画のワンシーンだけど。
カッコいい!




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このシーンの道具、そろったじゃん!

なんか、映画のストーリーがマイルストーンを置いて、遊び心と才能のあるスーパークリエイターがそこ目指して実現できる方法を模索して、技術屋が夢を叶える。ロマンティックだな~

アメリカって感じだな~(日本の技術もそこにたくさん役立っていると思うけど)









この歌を知っている人いますか?  

「その名~はマルス~、ジェッタ―マルス~ 時~は2015年 強い力を胸に抱き、澄んだ瞳はなにを見る~♫」

          
1:40~
鉄腕アトムの続編として企画された「ジェッタ―・マルス(1977年放送)」

これも舞台は2015年なんだよね~
38年も前のアニメだよ。

歌詞をばっちり覚えてるくらい自分にストライクな時代だった。

年齢の近い同僚に聞いても誰ひとりとして覚えている人はいなかったけど・・・

背の高いタワー(上海タワーみたいな)がたくさん建っていて、空飛ぶ自動車や時計型の電話、人間とロボットが共存する世界。
ガラスのチューブのような道路がビルとビルの隙間を縫うように走っていて、青く空気が澄んでいて緑も豊富な世界。
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まさしくザ・未来!って感じだったな~





エヴァンゲリオンも20年前に2015年の話を書いたというし、

過去にとって、2015年という年は輝ける未来の象徴的な年だったのかも。


お掃除ロボットに携帯電話、電気自動車にカーナビ、リニアモーターカー、インターネットやスマートフォン、グーグルアースなど、当時の夢や、夢にも思わなかったことが現在実現しているともいえるかもしれないけど、人はどれだけその技術で幸せになれているんでしょうね~
どれもありがたい道具だけどね〜

幸せの本質は見失わないように健全に、まだ生まれていない未来の子供たちや(自分たち)未来の老人の為に良い進化をしなきゃね~


道具は楽な方向に進化、人間は楽して退化・・・・  
そういう風にだけはならないように、自分の価値観の中での理想像的な未来を目指して、自分を計画的に進化?維持?して行きたいものである。




by oyakata58 | 2015-03-05 00:41 | 独り言 | Comments(0)
本日も晴天なり。



我が家のタブレットPCであるNEXUS72012年版が、

買って2年になるころ、USBの充電ケーブルの付け根が断線寸前のボロボロ状態になってしまった。

現物ではないが、いわゆるこういう状態。

アイフォーンといいNEXUSといい、ケーブルの付け根って、びっくりするほど壊れやすくできている。
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※ちなみにこの写真は今の私のiPHONE純正ケーブル(現役)であります。ア




充電すらもままならない様子で、バッテリーは溜まらないわ、ストレスが溜まるわで本気で弱った。


素人なのでケーブルがわるいんだか、端子の接触不良が原因だかわからず、

修理に出そうと、買った電気屋に相談するも、わざわざ中国に送って見積りだの修理だので数週間、

へたすりゃ一か月かかるだの、料金がかかるだのなんだの言われ、だったら市販品でいいからケーブル買うわ!

って仕方がないので1000円もしないようなケーブルを買った。

※もちろん本体に挿す側の端子形状はいろいろな種類の中からNEXUS7に合う形状のものを電気屋さんに確認して選んでね。


が、しかし!!どうもなにが悪いんだかで新しいケーブルを使っても充電ができたりできなかったりするのだ。

毎回かならず充電中の表示はでるものの、一晩おいてもまったく充電がされていなかったりすることも。

だいたい、こうなる前から電池の消耗が速いくせに充電のあまりの遅さには極度のストレスを感じていた製品だった。


いらいらいらいら・・・・やっぱりMADE IN JAPANじゃないと家電製品はだめか・・・・

やっぱり純正品じゃなきゃ上手くいかないようにできているのか・・・ちっきしょう


でもこんな単純な製品にそんな仕掛けができるのか???と疑問に思う日々。
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そのうち、本当に完全に充電ができなくなり、NEXUSが使用不可能になってしまった。
このまま廃棄?それとも高いお金を払って修理?
サードパーティーが出している充電スタンドを買おうかとも真剣に考えて物色していたが、
諦めきれずいろいろネットで調べてみると、市販のUSBの端子の仕組みに問題があることが判明。

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電気に詳しい人によると

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この端子の2本の線が機能しているから充電ができないのだとか。
純正品にはこれがないの?。とっくに捨てたからもうわからない。

そして解決方法は市販品のUSBケーブルでもこれら2本の線をショートさせると充電ができるという。


実際に分解してはんだ付けしてショートさせ使えるようにしていた。


そんなの普通、道具もないし素人には無理だろう。




って思っていた時に思いついたのだが、

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困った時のアルミホイル


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小さく切って、細長く折って、準備完了





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2つの線にまたがるように当ててショートさせた状態にするのだ。
ずれるのが心配な人はアルミホイルの飛び出してあまったところをテープで留めるもよし。



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ずれないように再びACアダプター(純正)に差し込み、NEXUS7本体とつないでコンセントに挿すと・・・・




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なんとまあ、見事に充電が始まるではないですか!!!

どうやらこの「充電中(AC)」と表示されることが重要のようだ。




USB端子とACアダプターは一度挿したらパソコンに繋いだりしないかぎりめったに外すことが無いので、

アルミホイルがずれたり剥がれたりはしなだろう。

上手くいかなかったらアルミホイルがずれいている可能性があるのでもう一度挿しなおしてみると良いかも。


速攻で充電%が増えていくわけではないのでしばらく気長に待ってみよう。

それでもだめだったら原因はバッテリーの不良だったり、本体内端子の接触不良だったり、違うところにあるのかも。

この方法でも繋がりにくい時もあるし…


そもそも本体側の端子が合えば100円ショップで買ったUSBケーブルでも使えるらしいし、
アルミホイルなんて使わなくてもそのまま何の問題もなく使える人もいるらしい。なんで??




と、いろいろ裏技といいながら紹介しつつも、あくまで素人個人の発想と体験であり、
私の場合これで問題が解決して一時的にはスッキリ!したが、メーカーが推奨しているやり方ではないので何か問題があった時は必ず自己責任でお願いします。

追記:結局最後は端子のみお取り寄せして部品交換し、それでも最後はそれもすぐに壊れ、nexus はもう買いたくありません。




by oyakata58 | 2014-12-05 23:21 | 独り言 | Comments(0)

何気ない日常の中で発見した小さな幸せを綴ります。


by oyakata58